長谷川武彦 (はせがわたけひこ)ヤマハ発動機顧問
名古屋大学工学部卒。58年ヤマハ技術研究所入社。翌年、ヤマハ発動機に転籍。37歳の若さで、取締役に抜擢され、開発のエースとして活躍。66年に初代の自動車部長として、トヨタ自動車と共同でスポーツカー「トヨタ2000GT」を開発。これがフォード・モーターにエンジンを供給するきっかけとなる。
本田技研工業との二輪車の販売競争「HY競争」で完敗した責任を取る形で退社。「片道切符のつもり」で子会社の三信社長に就任。三信ではヤマハグループでトップ企業にする意気込みでリストラに取り組み、社員一人一人の話に耳を傾け、従業員1200人の企業にふさわしい財務体質の確立を狙って人員配置を見直し、業績を上げる。
専務として再びヤマハ発動機に呼び戻され、94年社長に就任。21世紀への企業理念として「感動創造経営」を掲げて大躍進。2003年3月期、初めて売上高1兆円を突破。