村井 勉 (むらいつとむ)JR西日本・アサヒビール名誉会長
1918年福岡県生まれ。1942年東京商大(現・一橋大)卒。住友銀行入行。すぐに召集され、中国・武昌で終戦。46年帰国。京都四条支店長、東京業務部長、総務部長を経て70年取締役、73年常務。入行以来、洞察力、人心掌握力には定評があり、その実力を見込まれ76年にオイルショック以降苦境にあった東洋工業(現・マツダ)に副社長として出向「純血主義」を旗印にしていた同社で「住友マッカーサー」といわれながらも機構改革と人事異動を断行し、再建に腕を振るう。80年住友銀行に専務として復帰。81年副頭取に就任。
82年長期凋落にある朝日麦酒(現・アサヒビール)の社長に「最後の切札」として就任。86年、味とラベルを一新したCI作戦を展開しシェアを伸ばす。さらにビール業界に新風を巻き起こしたドライビールを登場させ、業界第2位の基盤を作る。同年会長に就任。マツダ、アサヒビール両者を通じて“再建男”としての経営手腕は経営の神様・松下幸之助にも認められた。
国鉄の分割、民営化で87年JR西日本の会長に就任。大巾赤字だった同社を5年で純利益298億の黒字企業に建直す。
なお、80~82年には関西経済同友会代表幹事も務める。