大森英桜 (おおもりひでお)食養指導家
大正8年11月24日生まれ。幼児期から、魚、卵、砂糖、果物などの過食をし、小学校時代より赤面恐怖症になり、高等小学校卒業後、肋間神経痛、乾性肋膜炎、湿性肋膜炎、腹膜炎を患い、寝たり起きたりの、味気ない生活を足かけ3年体験する。中学に入りたいという願望は熾烈だったが、弱い肉体と貧しい環境はそれを許さず、理髪店の小僧、国鉄の駅夫、洋服問屋の丁稚など、成人に達するまで歯ぎしりするような人生譜を綴る。21歳に会社重役の書生となり、夜間、工学院建築科に学ぶ。昭和17年、工学院卒業、建設会社勤務、軍需工場建設の現場監督。復員後、熱海にて建設事務所自営。昭和23年、熱海は大火により街の大部分が焼失し、多忙の日々が続いた。この年の8月21日、外人風の青年が「真理を語らんとする者は我と語れ」と書いたプラカードを掲げて熱海の街に出現、彼は「宇宙のすべては陰と陽から成る」と語り2冊の本を提示した。この本が大森英桜氏の運命を変えることになる。桜沢如一著『宇宙の秩序』『新食養療法』。2日2晩、一睡もしないで、何回か読み返した氏は命がけで、探し求めていた真理にふれた思いになる。正食行に入るとともに宇宙法則と正食医学の研究をはじめる。自宅を開放して難病者の食養指導を開始、多くの患者は奇跡的な快方を示す。